企画調査委員会

類書探訪

失われた時を求めて 全10巻

マルセル・プルースト作/井上究一郎訳

筑摩書房/1992~1993年

 本書はベル・エポックを生きたマルセル・プルーストが唯一残した精神的自伝とも言える長大な小説であり,フランス文学の最高傑作として評価されている。
 裕福なブルジョア家庭に長男として生まれ,幼少期からの豊富な読書による博識と過敏とも言える繊細な神経の持ち主であった作者が,各種社交界でホンモノに触れると何が生まれるのか,を証明したような作品と言える。物語の構成は複雑であるが,幼少期のコンブレーの思い出やスワン氏について語る「スワン家のほうへ」,スワン夫人や避暑地バルベックの思い出を綴った「花咲く乙女たちのかげに」,パリのゲルマント侯爵邸のアパルトマンに移った後の生活を記した「ゲルマントのほう」,突然同性愛のモチーフで展開される「ソドムとゴモラ」,一度は結婚を決意するも,結局は破局に至ったアルベルチーヌの編である「囚われの女」「逃げさる女」,作中での過去と現在の関係と共に自身の作家としての未来を見出す,圧巻の終編「見出された時」の7編で構成される。
 物語は一貫して話者の語りの形式をとり,愛の人であったプルーストらしく,色恋沙汰も読みどころであるが,サロンでの会話や交遊録も多数含まれ,文学,美術,音楽,演劇,建築,庭園,工芸品,語源学等々に関わる尋常ではない作者の博覧強記ぶりが至るところで発揮される。これらは作者の過去への憧憬の価値観に沿い,家族や家系,土地と暮らし,町や建築,絵画や音楽,政治や学問,言葉遣いやアクセント,料理や衣装等が小さな歴史として,物語中の現在から過去へと飛ぶように語られ,読み手に過去との対話の仕方を教えるかのようである。またその筆致も,例えば,コンブレーに向かう汽車の車中から地平線上に教会の鐘塔を見出すシーン(1巻105頁・・・風景と記憶の連関),ノルマンディー地域のゴシック教会のポーチの描写(3巻255頁:ラスキンの影響),ソルボンヌ大学文学部教授ブリショによる片田舎の地名の語源に関わる講釈(7巻140頁~等:地名と土地の歴史)等々,精緻を極めて,読者にものの見方のリセットを促し,ただ単に往時のパリや地方の風景が描かれているというレベルを超えている。
 多彩な空間体験や対面体験を時間的に重層的に語る本書の方法は,その必要性を認識した作者の世界観と一体となって,都市や都市計画により多くのものを求める人の琴線に触れるはずである。骨太の読書で時空を超える体験をしたい方にぜひ手にとってもらいたい作品である。

紹介:豊橋技術科学大学 教授 浅野純一郎

(都市計画380号 2026年5月15日発行)

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