企画調査委員会

名著探訪

今日の芸術

岡本太郎

光文社/1954年(本書は,1999年に光文社文庫として復刻されている)

 大阪万博の直後,突然,岡本太郎講師の「彫塑」という講義が開講された。期待して集まった学生たちが,立ったり座ったり思い思いの格好で氏を取り囲む中,開口一番言われたことが大変印象に残っている。「わたしは,君たちに講義なんかしたくなかったんだが,タンゲがどうしてもと言うもんだから来てやったんだ」
 続いて「旅は神聖なものだ。薄汚い切符を買って,狭い改札口を通って列車に乗らないと旅ができないとは,けしからんことである。君たちは,そう思わないといけない」といった,およそ彫塑とは縁のない話題を,滔々と話して帰られた。その間,氏の後ろに黒服の付き人が直立不動で立っていたのが,これまた印象に残っている。
 学生のわたしは,その型破りな講義とバサラなスタイルにいたく感銘を受けた。おそらく,その後に入手して読んだのが,本書である。副題は「時代を創造するものは誰か」となっている。奥付には昭和廿九年九月十日四版発行(初版は八月五日)とあるので,当時すでに古書店の棚に並んでいたのを購入したものに違いない。「芸術は『きれい』であってはならない」から始まる太郎流の「価値転換」原則が,ここですでに熱っぽく語られている。不用意な常識を片端からなぎ倒そうとしているのだが,その語り口は明晰で,いささかも乱暴ではない。
 太郎は本書出版の2年前に『みずゑ』誌上で「縄文土器論」を発表している。「縄文土器にふれて,わたしの血の中に力がふき起るのを覚えた」と述べて日本美術史を書きかえるとともに,その後の創作にもその「力」が色濃く反映されているのだが,不思議なことに本書では,その縄文にまったく触れていない。いかなる抑制があったのか,興味あるところである。
 詩人の宗左近は「日本美・縄文の系譜」の中で,南北朝時代の守護大名佐々木道誉の所業をこと細かく紹介し,バサラの美学は「中世に噴出する縄文」であり,その本質は「正気の物狂いである」と語った。それに倣えば,岡本太郎は「昭和に噴出した縄文」と言えるのではないか。
 創造には,技術や計算や根気がどうしても必要なのだが,その根本に,人の心を燃え上がらせるような「物狂い」のエネルギーがなくてはおもしろくない。都市計画という創造行為が,どんなエネルギーに依拠すればよいのかを考えるうえで,示唆に富む本である。

紹介:株式会社松波計画事務所 松波龍一

(都市計画376号 2008年12月25日発行)

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