企画調査委員会
かくれた次元
みすず書房/1970年
私が大学院に入ってすぐに取り組んだテーマは「密度論」である。当時は,大規模で高層高密度な住宅団地が次々に建設され,下町の住工混在密集地域は,まさに「過密」と言うにふさわしい状況であった。密度は居住環境にどのような影響を与え,人間行動はどう規定され,心理的精神的影響はどうかなど,議論の的であった。密度論,続密度論が学会誌「都市計画」でも特集され,このような都市計画の原論が研究的にも大きな関心事であった。密度ばかりではなく,広く環境心理学が注目を浴び,その論拠として動物行動学なども,都市計画研究の関連領域として注目されていた。私もカルフーンのネズミの行動実験など,文献を読みあさったものである。
そんな時代にあって,まとまった文献として実に示唆に富んだ知見を与えてくれたのが本書である。「沈黙の言葉」とこれまた刺激的な本の著者による,プロクセミックスと言う体系で空間の中に『隠れた次元』が存在するという「目から鱗」の内容であった。早稲田の授業でも吉阪隆正が冒険家としての独特の体験と観察眼から,アフリカの原野での動物の固有の領域の話をライオンとシマウマの例でお話をなさったり,戸沼幸市が尺度論の講義を始めた時代であり,大いに刺激を受けたものである。
さて,ホールの著書は,距離や空間的位置関係,尺度の重要性を解説し,画一的な建築や都市空間のデザインに警鐘を鳴らしていたのだ。その核心はこれらの感覚が,文化や民族によって異なり,気持ちの良い空間や安心できる空間,位置関係などもそれぞれに独自なのだ,ということである。民族の特性をポリクロニックとモノクロニックなどという言い方は,今考えればあまりに教条的でもあるが,この本では,様々な国民性と空間感覚を画一的な基準や物差しでははかれないこと,そして独自性や民族性の重要性を示してくれている。
その後,ホールは「文化を超えて」と言う著書を出版して,このような文化理解こそが,その差異を障壁にしない道であり,これを克服することの重要性を述べている。
このグローバル化の時代,ホールの言説はどこがどこまで適応できるのであろうか。インドでの都市デザイン・国際ワークショップでのこと。対象とした旧デリーのまちはなるほどインド,しかし,ワークショップで出会う学生は,皆ニューデリーの出身で,まるでロス育ちのアメリカ人のような生活を送っている。それでも見えない「かくれた次元」がそれぞれの民族に宿っているとすれば,それは何なのであろうか。家族のあり方,人間同士の関係,自然との間の取り方,感覚など,まさに固有の文化が空間の科学の重要な要素なのである。環境デザインが再び脚光を浴びている今日,改めて,今,この本を読み直してみたいと思う。
紹介:早稲田大学理工学術院教授 佐藤滋
(都市計画277号 2009年2月25日発行)