企画調査委員会
PROCESS Architekcture NO.4
プロセスアーキテクチュア/1978年2月
住民参加のまちづくり手法といえば,多くの人が「ワークショップ」と答える時代である。しかし,日本の都市計画やまちづくりの分野で,このワークショップという手法が利用されるようになったのは1980年代初頭で,まだ30年程度しか経過していない。
そのきっかけになったのは,実は1978年に発行された「PROCESS RCHITECTURE NO.4 特集/ローレンス・ハルプリン」である。ここには環境デザイナーであるハルプリンの多数の作品やスケッチ,デザインプロセスやワークショップに関する論文が収録されていた。
当時私は修士の学生であったが,この中で紹介されているポートランドのラブジョイ・プラザやフォアコート・ガーデンの滝のような噴水広場で,子どもや市民がシャワーのようにずぶ濡れになって楽しく遊んでいる写真を見て興奮したことを覚えている。1970年代の日本は,1971年4月に横浜市都市デザイン室が発足,1974年9月に新宿三井ビル55ひろばが竣工,1978年9月に横浜市の大通り公園が竣工という状況で,日本において魅力的な広場や都市デザインの事例はまだ
少なかった。
さらにこの本で私が感動したのは,その魅力的なデザインのすべてが住民参加のプロセスから生まれたものである,ということであった。もちろん住民参加の必要性は,当時の日本でも指摘されてはいたが,住民参加のプロセスによってこそ魅力的なデザインが生まれるとは思われていなかった。住民参加をはじめて制度化する街づくり条例も神戸市が1981年,世田谷区が1982年の制定である。それに対して,ローレンス・ハルプリンは「専門家がつくったデザインに対してユーザーは,選択するだけの伝統的な方法では満足しない。満足感を得るためには,行動する人々の主体性を重んじる集団創造プロセスとしてのコミュニティ・ワークショップが必要である」とこの本で語っている。
ローレンス・ハルプリンが,住民の集団的創造性をめざすテイクパート・プロセスというワークショップに行き着くには,実はサンフランシスコ・ダンサーズ・ワークショップを主宰していたダンサーである妻の影響がある,という点も大変興味深い。
その後1980年以降,ローレンス・ハルプリンの直接的影響を受けた東工大青木研究室が一連の農村計画に「構」(ワークショップの和訳)を取り入れ,さらに世田谷区や横浜市のまちづくり現場においてワークショップの実践的事例が増え,ワークショップ手法が大きく発展拡大していくことになる。私にとっては,重要な名著である。
紹介:早稲田大学教授 卯月盛夫
(都市計画304号 2013年8月25日発行)