企画調査委員会
現代都市之研究
建築工芸協会/1916年
大阪の建築家片岡安のこの本は売れた。大正5年末の刊行から半月を待たずに初版売切,一月後に再版売切となり,東京の都市協会の新年晩餐会に招かれて内務大臣後藤新平の面前で講演し,勢いに乗じて全国の建築家に檄文を発し,自ら関西建築協会を興して機関誌で論陣を張り,同7年2月,自ら起草した建議を建築学会等との連合で総理大臣寺内正毅に手渡している。それが都市計画法,市街地建築物法成立の契機となったというのが通説だが,建議は「建築法令制定」の建議で,そこに「都市計画」の文字はなかったことは,既に渡辺俊一,芝村篤樹が指摘している。すると,この本の「都市計画」上の意義はどこにあるのか。渡辺俊一は「街路計画を中心」の「古い都市計画」と断じ,本間義人は片岡の「住宅政策」を「先駆的」「本格的住宅論」と称揚する。改めて読み返し,評者が感じたこの本の「都市計画」上の意義は次の三点である。
第一は地域制導入の勧告である。内田祥三は(1)市街地建築物法のベースは建築学会「東京市建築条例案」だが,(2)地域制は学会案になく,ドイツ,アメリカを参考に「笠原君と僕とで原案」を作ったと述べている。笠原敏郎の警視庁技師採用は大正6年4月。原案作成がそれより後だとすると,その約3ヶ月前,内田も読んだであろうこの本は「ゾーン・システム」の呼称で,ドイツのバウマイスター提案の段階的建築条例(abgestufte Bauordnung)を学会案に加味するよう勧告していた。
第二は海外文献を渉猟しながら,それに絡め取られない姿勢である。「称賛して止まざる」ドイツ都市は「各国よりも余程後れて」いたため「非常に幸福」と指摘し,ハワードの田園都市論も,序文を書いてくれた同郷井上友一の内務省地方局有志『田園都市』も共に,「都市の大改良」や「都市家屋政策との関係」は不明で「画竜点睛を忘れたる」と批判する。「世界各国の都市各自其趣を異にし,都市計画に対する態度も自ずから異ならざるを得ない」。「唯彼等」の「苦痛と覚醒とを見て」自ら顧みることを求めている。
第三はこの本は「都市計画」の本ではなく,「都市経営」の本として書かれたことである。この本で片岡は我国の「都市経営」者に,「都市計画」,「労働者階級家屋政策」,「建築法規の制定」と「公衆衛生法」を以て大都市の改造と郊外の田園都市の建設に取り組むことを求めている。本書が刊行された大正5年末は,大正2年に登場した「都市計画」という用語が,同8年に「都市計画法の都市計画」となる前の,重要な「過渡期」にあった。その時代背景の中で,片岡は「都市計画」を「都市経営」の一要素の,都市の新しいレイアウト設計の意で使用したのである。
要するに,この本の歴史的意義の一つは,建築学会案に地域制の加味を勧告したこと,現在的意義は海外事例に精通しつつ,それに絡め取られない姿勢,そして「都市計画」という用語の意味が不明瞭になった時代に,「都市計画法」以前の用語「都市計画」の使用法を改めて私たちに教えてくれる点にあるのではないか。
紹介:九州大学名誉教授 秋本福雄
(都市計画316号 2015年8月25日発行)