企画調査委員会

名著探訪

庶民と旅の歴史

新城常三

NHKブックス/1971年

 近年,観光に係る本の出版は年ごとに増加傾向にある。実務や政策論にかかわるもの,経済やマーケティング,文化人類学や都市学,社会学等個別の学問領域からのアプローチによるもの,さらにそれらを大学等での教科書としてまとめようとするものなどが挙げられる。
 日本の観光は,明治以後の近代化の中で培われてきた側面と同時に,それ以前の近世までの旅の文化の中で育まれてきた側面を温存している。観光のような社会現象は,経済や政治と比較し相対的に急速には受容されにくい側面を持つとも言えよう。国際観光の枠組みのなかで観光が議論され,特にインバウンドが着目される現在,日本人の旅のルーツを掘り下げることも長期的に日本の観光振興を考えるうえで有益な論点であるように思われる。
 本書は私が観光に関する研究を始めた時期に入手した本である。しかし,当時はマスレジャー華やかな時代であり,大衆観光が成立した時代背景として戦後の民主国家への改革がそのベースにあるとの暗黙の了承があったと感じる。そのために本書にさしたる興味を覚えなかったと記憶する。その後の我が国の観光の変遷を通して,徐々に読み返すようになった本である。
 著者がまえがきで述べるように,「主として江戸時代に焦点を当てて,庶民のもろもろの旅の実態と変遷の跡とを,できる限り多角的に描写しようと試み・・・・,その背景となる当時の社会的条件とからみ合わせて,旅を通して庶民の生活史の断面を浮き彫り」にしようとしている。西欧では階級社会の表現として旅の歴史が語られることが多いのに対し,日本ではすでに近世において大衆観光が成立していたことを示している。このような形態が将来に向けても保持されるのかが,一つのテーマかとも思われる。
 本書は,日本人の観光のルーツとしての庶民の旅の歴史を読み解くための入門書として,いまだに古典的な位置づけにあると言えよう。

紹介:宇都宮大学名誉教授 永井護

(都市計画318号 2015年12月25日発行)

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