企画調査委員会

名著探訪

都市の自動車交通(Traffic in Towns)

八十島義之介・井上孝 共訳

鹿島出版会/1965年

 本書は1963年にイギリス政府が2年間にわたる都市と交通の関係について行った調査研究を発表したもので,委員長を務めたコーリン・ブキャナンの名を取ってブキャナン・レポートとして広く知られている。当時イギリスですでに始まっていた急激な自動車の増加に対して都市の環境をいかに維持していくかについて,本書では道路ネットワークを段階的に構成し,自動車の走行空間と人間の居住環境とを分離することを提唱している。この考え方はその後半世紀にわたる世界中の都市交通政策に大きな影響を与えてきた。
 日本語版は東大の八十島義之介・井上孝両教授によって1965年に出版された。当時両研究室に在籍していた8人の大学院生が夏休みに伊豆で合宿して翻訳作業に当たったが,私はそのチームの一人として当時のことを懐かしく思い出している。
 その後私はアメリカに留学して約20年間にわたる北米での生活を送ることになった。ブキャナン・レポートでは自動車について,「我々は莫大な犠牲を払って潜在的に大きな破壊力を持った怪物を養っている。しかも我々はそれを熱愛している」と言っているが,まさにアメリカでは自動車の利便性と自動車依存社会の抱える問題との両方を経験してきた。
 ブキャナン・レポートの評価は賛否両論さまざまであるが,それは彼が提唱した「どんな都市においても環境基準を確立すれば,自動車のアクセシビリティはおのずと決まるが,費用をかけて物理的な変更を加えることによってアクセシビリティは改善できる」という一般的な法則をどう解釈するかによって異なっている。アメリカでは後者を優先する政策を取ってきたし,日本でも1960年代から始まったモータリゼーション時代には自動車優先の都市交通政策を採用してきた。
 半世紀経った現在,発展途上国ではまだモータリゼーションが進行中であるが,欧米の先進都市においては,郊外へのスプロールからコンパクト・シティへ,また歩行者・自転車・公共交通を優先する人間中心都市へと,「ピークカー」あるいは脱自動車依存時代に向けた動きが始まっている。コーリン・ブキャナンが日本語版へ寄せた序文では,「良好な都市の生活環境を確立するためには,自動車交通による不当な侵害がないようにすることが必須である」と言っている。私の長年の研究テーマもLRTや自転車など自動車のみに依存しない都市交通のあり方を目指してきたが,その原点にあったのは学生時代に出会った本書の影響によるところが大きい。

紹介:宇都宮共和大学教授 古池弘隆

(都市計画328号 2017年9月15日発行)

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