企画調査委員会

名著探訪

生活の空間 都市の時間
:Anthology of Time Geography

荒井良雄・川口太郎・岡本耕平・神谷浩夫 編訳

古今書院/1989年

 学会論文の締切日,至近の郵便局の終了時刻が迫る中で水色の正方形がびっしり描かれた用紙への印刷に手間取り,夜間窓口をもつ郵便局に向かった経験を持つのは,私だけではないだろう。このように施設の利用可能性は,空間的な距離に加えて時間にも制約される。スウェーデンの地理学者であるヘーゲルストランドは,地域社会とそこに住む人間の理解のために時間と空間の両面から生活行動を解き明かす必要性を主張し,「パス」「プリズム」「バンドル」といった基礎概念や「能力」「結合」「権威」による制約の概念を提案した。この書籍は,1969 年8 月の地域学会第9 回欧州大会においてヘーゲルストランドが行った会長講演録と,その後20 年弱のルント大学における「時間地理学」の研究論文を,30 歳前後の若手地理学者が翻訳,編集したものである。
 当時,都市交通計画分野では,非集計行動モデルの導入でミクロな政策の分析が容易になった。ただし,1 日の行動を分割しその一つの選択場面にモデルを当てはめていたため,「朝の本数は十分でも,帰宅時の本数が少ないために通勤にバスを利用できない」といった複雑な状況が説明できなかった。さらに,居住地の利便性は職場との位置関係だけでなく,保育所の場所や営業時間に大きく影響されるため,時間地理学のアイデアは,私が専門としていた土地利用交通モデルの改善にも役立った。
 この2 年間のコロナ禍により,社会の中の時間と空間の意味が大きく変わりつつある。特にテレワークやネット購買の一般化でいくつかの空間的移動は不要となり,移動に起因する時間的制約は緩和され,プリズム制約の意味は薄れている。その一方で,さまざまな目的の行動が個人の時間資源を取り合う状況は激化しており,意識を集中して時間を活用できる環境の提供と,スケジュールの同期化の重要性は増している。
 用意された選択肢からの選択とか価値付けに着目する「ミクロ経済学」,選択肢の制限要因に着目する「地理学」に加え,どのような行動の選択肢を用意するのかという視点から本書を見直すことで,都市計画へのヒントが得られると期待する。

紹介:東北大学災害科学国際研究所 奥村誠

(都市計画356号 2022年5月15日発行)

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